大地は、悠久の時間(とき)を超えて私たちに語りかけます。
地球の歴史があり、先人たちの暮らしが眠っています。
そして現代の私たちが暮らす環境についても教えてくれます。

「大地のミュージアム」は、そんな想いを綴って行きたいと思います。

 

◆ミュージアム・ニュース

 

「諏訪湖東南の集落」を新設しました。こちらからどうぞ。→新コーナー

 

諏訪盆地の複雑な地質構造

諏訪盆地はフォッサマグナの海をつくった糸魚川-静岡構造線と、諏訪から発し九州まで続く中央構造線が交わる地質的に複雑な所です。
地表の大部分は塩嶺塁層や霧ヶ峰・八ヶ岳などの火山噴出物でおおわれていますが、断層に沿って湧き出る温泉・底なしと呼ばれ沈降をする土地・遺跡を切る活断層など、その下には大小多くの断層が交錯し、今でも大地は活動を続けています。

諏訪盆地の集落と地盤

諏訪湖を取り囲み、都市と集落が発達している。
湖の南東には、湖が次第に埋め立てられて形成された沖積原(沖積平野)が広がる。河川
沿いに自然堤防と呼ばれる微高地と後背低地が生まれ、微高地に集落が発生している。湖の
北西は、周囲の山体から流出する急流河川が形成した扇状地が重なり合った複合扇状地域が
発達する。

諏訪湖は、諏訪大社が成立したおよそ 2000年前は今より広く、湖岸線は諏訪大社前宮付近
に在ったと推定される(図 1-2(a))。その後湖の陸化が進行し、中世末には現在の諏訪市中
洲下金子に金子城が築かれ、やがて浮城として名高い高島城が築城された (図1-2(b)) 。

諏訪湖南東の集落

戦後の高度経済成長期以後、都市化の進行とともに江戸時代以降に形成された集落は変貌
し中核となる都市域を中心にかつての農村集落に生活圏が拡大している。

ここでは、諏訪湖南東の沖積原(一般に平坦部と呼ばれる沖積平野)に江戸時代(享保年
間の頃)にすでに成立していた集落を取り上げ、古絵図を用い当時の生活の舞台を偲び、現
時点までに明らかとなっている主に地質調査ボーリング柱状図を用い地盤情報を分析し、そ
の地盤特性を明らかにする。

〔取り上げる地域〕

福島地区   飯島地区   赤沼地区   文出地区

 

●下金子地区  ●中金子地区  ●上金子地区  ●田辺地区


〔用いる図・資料〕
・諏訪地図(諏訪教育会(昭和 41年 1月 10日))…図 1-1
・諏訪藩一村限村地図 発行者 諏訪郷土研究所(再刻 昭和53年9月10日)
(享保〜寛保 1716〜1743年頃つくられた「殿様御枕絵地図」とも称せられた「旧藩主
手元絵図」)
・柱状図 ㈱中部測地研究所収集資料、引用使用の同意を得た他資料


〔引用文献〕
・文献 1 図 1-2 田中阿歌麿 諏訪湖の研究 上巻p170、p175(1918.1 岩波書店)

新コーナー「諏訪湖東南の集落」が新設されました。

地質学の基本「柱状図の読み方」を解説しています。