文出地区・上小川・下小川

 

<地形>
かつての宮川は、宮川安国寺亀石で上川を合わせ平坦部を流下した模様である。現在湖の南東に広がる沖積原(いわゆる平坦部)は、上川を合流した宮川の時代に上流から下流へ、西側区域から東側区域へと順次形成され陸化が進行した。その宮川が文出・上小川・下小川地区を流下し、当時の湖中にデルタを形成しこれが陸化しヨシ崎となった。
宮川筋に新井・上金子・中金子・田辺・下金子・文出と古村が多く、一方の上川沿は飯島・赤沼の二村のみであるのは、陸化が宮川筋から始った為と考えられる。
享保(1700 年代前半)の頃に描かれた一村限村地図は、南から流下する宮川※1 が文出集落を抜け北東方向の古川※2 へ連なる様子を表わす。家数文出65 軒、上小川34 軒、下小川9 軒の集落である。
この時代の宮川の分岐分流を同図から読み取り記す。
1.集落南最上流部で右岸方向へカマイ川を分岐分流※3
現在の市道四家橋から中洲工業団地西の旧称「カマイ土堤」に沿う自然堤防微高地を残した。スイナ池※4 に流入する。
2.集落中央から西方左岸方向にかつての本流が流下※5、現在の市道沿いの墓地、畑地の高まりと、上小川※6、下小川※7 集落の微高地を経てヨシ崎に達する河流があった(宮川旧本流)。現在既に陸化しているヨシ崎の三角地と湖中のヒシの帯状分布から推定される三角洲は広大でありその規模から、上川・宮川が合流した時代に形成された平坦部西側最下流部の微高地と思われる。
3.宮川の旧本流は、西山から流出する中沢川扇状地の末端に接し※8 後背低地鴨池※9を形成した。高田堀※10 は、この池・湿原からの排水河川の役割を果たす。
4.半ノ木川への流路変遷
同図は集落内上流部で宮川と表示した宮川筋を、下流部では古川と表示している。
左岸方向の半ノ木川※11 へ河筋を移した時から古川となったと思われる。この河筋は、現在の地形図に一級河川「宮川」として残り舟渡川に合流する。
この時代に菖蒲河原・宮池に流入した半ノ木川は、洪水の度にもたらされる上流域の山体や八ヶ岳火山台地からの土石・泥土火山灰を堆積させ、陸地を進出させた。古老の話では、「赤土の洪水が襲う度に陸地が伸び水浸き田が上田へと変わった」と言う。昭和初頭の天竜川上流域河川改修により河川整備が行われるまで、この状態が続いた。

・諏訪地図(諏訪教育会(昭和 41年 1月 10日))

・諏訪藩一村限村地図 発行者 諏訪郷土研究所(再刻 昭和53年9月10日)
(享保〜寛保 1716〜1743年頃つくられた「殿様御枕絵地図」とも称せられた「旧藩主
手元絵図」)

 

<地質>
柱状図は、集落内寺院のものである。
自然堤防上に位置する為、後背低地で見られる腐植土の単一層が少なく腐植土と河床砂礫の互層が続く。N値の分布を見ると、GL-7mまでN値3 以下の軟弱な土層を挟む。
GL-12m以深からN≧10、GL-25m以深からN≧15、GL-33m以深からN≧30 となる。

砂の挟在が比較的多く、自沈からN=2 までの極軟弱土層はほとんど無い。自然堤防上に立地した旧村部の地盤を代表していると見て良いだろう。

 

柱状図の読み方はこちらへ →大地の研究室

・柱状図 ㈱中部測地研究所収集資料

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地質学の基本「柱状図の読み方」を解説しています。